吉本晴彦のwikiや経歴は?息子や吉本興業との関係は?どケチ教も!

にーはお!fumiです!

 

こんな訃報が届きました。

 

画像元
http://www.skc.ne.jp/introduction/greeting.html

 

吉本晴彦さん93歳(よしもと・はるひこ=元大阪マルビル会長)5月30日、老衰のため死去。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻初子(はつこ)さん。

引用元
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170815-00000045-mai-soci

元大阪マルビルの会長吉本晴彦さんが老衰のため、死去したというニュースですね。

 

ワタシは大阪の人間ではないのでは知らない方だったのですが、大阪財界の中では伝説の人間だったのです。

 

大日本どケチ教の創始者ですから!

でも気になりますよね、大日本どケチ教!!

 

なんだかノリがすでに洒落が聞いていて、いかにも大阪の商人!という感じがします。

 

 

 

 

吉本晴彦さんのプロフィールや息子は?

 

画像元
http://blog.goo.ne.jp/rinri-naka/m/201111

 

 

まずは、プロフィールから!!

 

大阪・梅田の大地主の家に生まれ、祖父彦太郎氏に「どケチ道」を仕込まれた。学徒動員された経験を持ち、中国で終戦を迎えた。復員後に不動産業を始めた。

1970年、自分の半生に基づいてケチを勧めた著書「どケチ人生」がベストセラーになり、73年に「大日本どケチ教」を設立して教祖に就任した。元サントリー副会長の故・鳥井道夫氏、森下仁丹社長だった故・森下泰氏とともに「大阪の三ケチ」と呼ばれた。

76年にはJR大阪駅近くに円形型ビル「大阪マルビル」が完成。ビルを管理する大阪マルビルの社長などを務めた。ビル内のホテルの稼働率は高かったが、円形のため建設コストが高くつき、借金の返済負担が重くのしかかった。

バブル期の絵画や不動産投資の失敗などもあって、会社は2004年に産業再生機構の支援が決定。その後、大和ハウス工業の子会社となった。

引用元
http://www.asahi.com/articles/ASK8H2SD7K8HPLFA001.html

 

なるほどーもともとが大阪の梅田の地主さんの家系なんですね。

 

基本的にはその地主だったことを活かして不動産業を営んでいた、吉本さん。

「大阪マルビル」の社長としての経営が有名でしたが、内実は借金を抱えていたということで順風満帆とはいかなかったんですね。

 

その後、吉本さんの会社は大和ハウス工業の子会社となってしまいました。

 

このプロフィールによると「どケチ人生」の本での成功というのが大きかったような気がしますね。

 

ちなみに、吉本さんはNPO法人の船場経済倶楽部の名誉会長に就任されていました。

 

ワタシは山崎豊子先生の小説が好きなので、船場と聞くとどきっとしますが笑

ようするに、戦前から大阪にあった大阪の商家が立ち並ぶ場所を船場といい、その起源は豊臣秀吉までさかのぼる歴史があるんですよね。

ですので、そういった名誉職をたくさんこなしていた吉本さんはやはり大阪財界のドンだったんでしょう。

 

息子さんは吉本晴之さんという方がいるということがわかっています。

大和ハウスの子会社になってしまった、株式会社マルビルの社長をやっているようです。

経営は息子さんにお任せして、吉本さんは名誉職を兼任されて楽しく大阪での生活をおくっていた様子が想像されますね。

 

 

 

吉本興業との関係は?

 

ネットでは吉本さんの名前を検索すると、「吉本興業」というのが出てきます。

なにか関係があるのかな・・・と調べてみても出てこないんですよね。

 

吉本さんは大阪では由緒正しき商人の家系の東吉本家の当主にあたります。

一方吉本興業の創始者吉本せいさんはそういった家系ではないので、名字が同じだけという可能性がありますね。

 

ただ名字が同じだけはあり、吉本せいさんの旦那さんがなにか関係があった。などはあるかもしれませんね。

 

 

 

 

どケチ伝説は?

 

前述していますが、吉本さんはどケチ伝説で有名!

 

大日本どケチ教の創始者ですから!!

 

その人の名言が「人脈は金脈だ。しかし、その上に、その向こうに、さらに、霊脈がある」

ということでねえ。金脈は人脈をたどることで形成されるもののね、生きている限りは人生

預かりもの。金も体も自分のものではない。全部、預かりもの、なのだ。ということでね。

あの世には全部を持ってはいけない。ので、「命をケチる」こと、だとね、教えておられ

ましたね。ほんまに。命を大事にすることだ、というね?ほんまに。とにかく、ドケチ教の

根本は「もったいない」「もったいなことをすな」というね、そういう浪速商人の生き方

でねえ。元々は、江戸時代に元禄文化でねえ、バブルに沸いている時にね、井原西鶴が出てきて

「そんなこと、いつまでもしてたら、あきまへんでw大阪商人は儲けること。そして、何よりも始末をつけること。金の入りを抑え、出を制すこと」

という風にねえ、唱え始めたことがねえ、そういう伝来のバイブルとなってねえ、大阪一帯に

広まっていった、そうですね?ほんまに。

引用元
https://ameblo.jp/joedo0taiken/entry-11539366720.html

やはりもったいないことをするなという精神がどケチ教の根本となっているようですねー

支出を抑え儲けを最大にする。ということもうたわれています。

 

うーん、大阪商人の魂!というのが出ていますね。

 

なんでもかんでもコストを抑えたらいいと思われがちですが、人件費を抑えることについては吉本さんは否定的。

 

月給渋って社員がやる気無くしてつぶれた企業はごまんとある。
少数精鋭で月給を相場より出せば必ずがんばるもんや。それがケチ経営。

 

となかなか深いことをおっしゃっているなーという感じがします。

 

これはもう著作を読んでみたほうがいいかもしれませんね。

 

どケチ人生

 

気になるところです笑

 

 

まとめ

 

ということで、老衰のため死去となってしまった吉本晴彦さんについてでした!

 

いろいろ調べてみると歴史があって面白いですよねー

 

儲けにも哲学がある大阪商人がかっこいいなーと思います。

 

今度大阪に行ったら船場を見学してみようと思うんですねー戦争でなくなってしまったと聞きますが、今は普通のビル群なんですかねぇー

 

それでは!

 

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