にーはお!fumiです!
新元号、令和(れいわ)発表から数時間。
まだこの興奮は日本列島を襲っていますね・・・!
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http://harikirimaruko.net/
ということで、今回は令和について少し深堀りしてみたいと思いますよ!
さて、いきましょう!
令和(れいわ)出典の万葉集の意味は?
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https://www.huffingtonpost.jp/
まずは、首相からの説明もありましたが、今回の令和は、
日本史上初めてである、中国の古典以外からの出典となりました。
それは日本最古の和歌集である、万葉集からとなったんですね。
万葉集、梅の花の序文から取られました。
「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」
が原文となります。
万葉集から取ったといいつつも、この歌自体が中国の詩文集である「文選」「仲春令月、時和気清」からとったといわれています。
なので、元をたどれば中国に行きつくわけでそれは漢字を使っている以上仕方ありません。
また、梅の花をめでるということが当時は珍しく、なぜかというとそれは梅の花は外来種だったからです。
それもまた中国から来た花なんですね。
ちなみに、中国の国花は梅です。
日本の国花である桜ではなかったというのも、
日本完全由来ではないというのを感じさせます。
元号は出典の時代背景の通りになる!?
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https://rocketnews24.com/
また、どんな時代になるのか、を予想するには、
その元号がつけられた背景を見るといいです。
当サイトでも紹介しました(下記参照)
平成もまさにその水害を予想していたかのようなものだったんですね。
そして今回の令和の時代背景。
この万葉集から取られたとすれば、この歌がうたわれたのは天平ということになります。
天平とはどんな時代だった?
それでは、天平とはどんな時代だったのでしょう。
天平は729年から749年までの期間で、この時期の天皇は聖武天皇でした。
天平といえばワタシが思い浮かべるのは、井上靖氏著の「天平の甍」。
日本の留学僧が、命をかけて鑑真を日本に連れてくるという話でした。
その途中で鑑真が失明する話は有名ですね。
このように天平というのは、世界の最先端に必死で食らいつき、吸収し日本の文化が花開いていく時代だったんですね。
天平も奈良時代の最盛期であり、この時期に東大寺や唐招提寺が作られました。
後世において今の時代がなんと呼ばれるかはわかりません。
日本の歴史はその都の名前の時代で呼ぶことが多いので、「東京時代」かもしれませんが、
もしかすると東京時代の文化隆盛の時代が「令和文化」などと呼ぶことになる・・・かも!?
「令和」は政治経済よりも、日本文化の一つの完成形を目指す時代だといえるかもしれません。
まとめ
ということで、令和についてでした!
まだ少し慣れませんが、個人的に響きが好きです。
いろんな想像ができる新元号でしたが、以上ワタシなりの推察をしてみました。
それでは!
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